特別インタビュー
楽しかったこと、辛かったこと、全てが自分の糧になります
東洋大学国際学部国際地域学科教授 岡本郁子氏
-岡本先生、初めての留学経験インタビュー-
1990年 上智大学外国語学部卒業
1992年 Stanford University大学院修士課程 修了
2006年 京都大学 博士(地域研究)
留学先:University of California, Santa Cruz
中学時代3年間親の仕事の関係でミャンマーで暮らし、大学・大学院時代にはアメリカに留学をしたりと、海外経験が豊富な岡本先生。今回は、私たちにとってより身近に感じられる、大学時代に経験したアメリカでの交換留学について伺いました。
留学のきっかけ
-留学の大きな決め手となったことは何かありますか?
英語学科に入学しましたが、いわゆる受験英語しか知らなかったんです。英語は好きでしたし、ペーパーテストでは問題ない。でも思うように話せない。コミュニケーション力に欠けている自分をどうにかしたいと思い,入学した直後から留学を希望しするようになりました。
留学先でのこと
-行先をアメリカにした理由を教えてください
当時の交換留学対象者の選抜は競争が激しかったこともあり,留学対象校の中で、自分のTOEFLスコアで行けそうなところを選びました。カリフォルニアを選んだ理由は、過ごしやすそうだからという単純な理由です(笑)
-現地では何を学ばれましたか?
Latin America Studiesです。私は言語としての英語を学ぶためにではなく、ツールとしての英語力を身につけたいと考えて外国語学部に入学したこともあり、主に国際関係領域の専門科目を取っていました。ゼミの先生が開発論,特にラテンアメリカを研究されていたこともあり、私もラテンアメリカについて学ぼうと思いました。
留学中の不安
-留学中に不安だったことや大変だったことはありますか?
最初の3か月ほどは、言葉の壁を乗り越えるのが大変でした。相手が言っていることは理解することができるようになっても、ディスカッションになると自由に話せるレベルにはなかなか到達できかなかったので、苦労しました。
-大学の情報などについてはどうしていましたか?不安はありませんでしたか?
今と異なりインターネットが普及していなかったので、自分で留学関係の冊子を探したり,留学情報を提供する機関などを訪れて情報を集めました。とはいえ、やはりそれでけでは十分わからないことも多く、不安でした。
たとえば、どういう寮に住むのか、どういう授業をとればよいのかなどが気になりました。留学先には私と同じ大学からの留学生はいませんでしたが、現地で他大学からの日本人学生出会い、時折情報交換するようになりました。
現地での生活面、勉強面
-留学中の寮やルームメイトのこと何かありましたか?
最初の1クォーターは2人部屋の寮に住み、とても仲良くうまくやっていました。その後、4人で住むオンキャンバスのアパートに移りましたが、生活パターンの違いもあり、役割分担をしながら暮らしていくのが大変でした。その4人の中でアジア人は私ひとりでした。ルームメイトのひとりが、*フラタニティのメンバーでその集まりが我々の部屋であったのですが,その際に、私に対するやや冷たい視線を感じました。UCSC(University of California, Santa Cruz)はどちらかというと、とてもリベラルな校風で、人種差別を感じることもなかったのですが,その時だけはこういうことがあるのだと驚き、マイノリティーとしての自分を意識しましたね。
*フラタニティ…中世後期から近世のイングランドにおいて俗人によって自発的に形成され、宗教的機能をはじめとして様々な社会的機能を発揮した友愛の連帯組織をいう。
-勉強面で印象に残っていることはありますか?
UCSCの学生は、遊ぶときは遊ぶ、勉強するときは勉強するとメリハリ良く生活しているなと思いました。定期試験期間中は、24時間図書館が開いているので、そこでつめて勉強をすることができました。専門科目ではないですが、授業として印象に残っているのは,スペイン語です。日本ではスペイン語を履修していませんでしたが,カリフォルニアに来たこともありスペイン語に挑戦しました。ビギナーズクラスだったのですが,授業はすべてスペイン語で行われ英語は使わないというルールでした。先生が授業中に次々と(スペイン語での)答えを求めるので、予習をしっかりとしていかないと授業についていくことが難しかったことを覚えています。そのおかげで,1クォーター(10週間)が終わった段階で5分間程度のスピーチができるようになりました。大変だったけれども集中して勉強することの大切さを学びました。
-予習をしていくと、身につく速さが違うなと思いますよね。
そうですね。語学の授業では予習復習が絶対に必要だし、他の講義でもリーディングリストが配られるので、それを次の授業までに読み込んでおかないとついていけないというのも実感しました。
-授業のスタイルも日本とは違ったと思うのですが、その点はどうでしたか?
ディスカッションがメインの授業が多く、授業での発言、参加が前提となっていることから、何も発言しないのは自分の意見を何も持っていないとみなされると感じました。最初は発言したくともできないことも多かったのですが、留学期間が終わるころになるとがんばって発言できるようになっていきました。
-休みの日はどのように過ごしていましたか?
サンフランシスコなどに遊びに行ったり、キャンパスの近くのビーチで遊んだりして過ごしました。また,最初の数週間ですが週に2, 3回の練習なら大丈夫だと思ってテニス部に入ったものの、勉強についていけなくなると思い、やめました(笑)
-日本食が恋しくなりませんでしたか?
それはならなかったですね。ミャンマーでの滞在経験もあったので、食に関しては何でも大丈夫というのがありました。でも母の梅干しだけはどこ行くにも持っていくのですが(笑)。他には、大学が森の中にあるのですが、一角に海が眺められるテラスがあって、そこによく気晴らしに行っていたのも思い出です。
留学後
-留学から帰ってきて、何か次につながりましたか?
この留学経験から国際開発に関してもっと専門的に勉強したいと思うようになりました。英語力の向上はある程度達成できたとは思いますが、交換留学期間は実際短かったこともあって、留学中に関心をもった分野を修士課程でしっかり学びたいと考えました。交換留学期間はその準備期間だったと思います。
-初めての留学に行ってみて考え方が変わりましたか?
いろいろな側面での多様性に触れ自分自身の意識が変わったように思います。異文化、民族、ジェンダーなどを含め、全ての多様性に大学自体がオープンだったので、留学を通して私の中にもそういう意識が育まれた気がします。今までなかった価値観を得ることができ、様々なことを身をもって体感できる留学でした。
-日々学生と接する中で、今の学生についての先生の印象を聞かせてください。
留学を考えている学生の多くは、それぞれがしっかりとした目標を持っているようです。一方、自分には難しいと尻込みしている人もいなくはありません。昔は今よりも留学に対する支援が少なかったので、その点では今の学生が正直羨ましいです!ぜひ、多くのそれらを有効に活用してもらいたいと考えています。
-就職活動をされたということですが、どんな様子でしたか?
帰国後、スーツを着て就職活動をするということがとてもつらかったです。国際開発関係の仕事に就きたかったのですが,準備をしっかり行えなかったこともありうまくいきませんでした。今と違って、文系の女の子学生を総合職として採用する企業は少なく、就職活動ではかなり壁を感じました。リベラルな環境から帰国したばかりだったこともあり、余計にその状況に納得がいきませんでした。そうしたこともあり,もう少し専門性をつけるために勉強したいと思い、それが次の留学に繋がったのだと思います。
-最後に、留学を考えている人たちへのメッセージをお願いします
考えているより、どんどんチャレンジすることが重要だと思います。もしかすると辛いこともあるかもしれませんが、辛かったことも含めて全てが自分の糧になります。留学を通じて得る経験に無駄なことは一切ないはずです、どんどんチャレンジしてください。うまくいかないことも、それをどうしたら克服できるかを考えることが大切です。異文化に触れることにマイナスなことはないと思います。また、留学中こそ、自分は日本人であると再認識する機会も少なくはありません。ぜひ、日本を良く知る、自分なりに説明できるようになっておいてほしいと思います。